丸岡城天守閣、国宝化へ期待 入場者数、過去最高を記録  福井県坂井市

《写真説明》

列をなして丸岡城天守閣を目指す有料入場者たち=坂井市丸岡町霞町1で

 現存する天守閣で日本最古の建築様式を誇る重要文化財丸岡城天守閣(坂井市)。昨年度の有料入場者数は十五万四千八百七十七人と過去最高を記録した。市民らの間で国宝化への期待が膨らむ中、文化財的な価値を見極める市の学術調査にも拍車が掛かる。

◆価値を再検証

 丸岡城織豊時代初期の一五七六(天正四)年に、織田信長の重臣・柴田勝家のおい、勝豊の手で築城されたとされる。ただ、建築時期の根拠は、江戸中期に書かれた「柴田勝家公始末記」に「丸岡城者(は)天正四丙子(ひのえね)年築之(これ)、霞(かすみ)ケ城ト云(いう)」との記述があるだけだ。

 国宝に指定されるためには、建築時期を特定し、建築史上の重要性など価値を明らかにする必要がある。二年前に国宝に指定された松江城天守松江市)は、完成時期を示す歴史的資料がないことが最大の課題だったが、天守近くの神社内から完成時期を慶長十六(一六一一)年と記した祈祷(とう)札が見つかったことが決め手となった。市教委は二〇一五年九月、建築史や構造などを専門にする県内外の大学教授らで構成する調査研究委員会(委員長・吉田純一FUT福井城郭研究所長)を設け、文化財としての価値を再検証している。

天守の原始的形態

 丸岡城には他の城と比べ、どんな特徴があるのか。吉田委員長は「天守発生の原始的形態を持つ」と指摘する。入母屋(いりもや)の屋根に、望楼(やぐら)を載せた「初期望楼型天守」の造りで、名古屋城名古屋市)や弘前城青森県弘前市)などのように塔を積み重ねる層塔型天守よりも古い形式。中世動乱期の雰囲気を漂わせる。

 同委の検証で、建築当初の天守閣はヒノキやサワラの薄板を使ったこけら葺(ぶ)きだったことが判明した。一六一三(慶長十八)年に福井藩付家老の本多成重(後の丸岡藩祖)が城主となって以降に、足羽山産の笏谷石(しゃくだにいし)などを屋根瓦として敷き詰めた現在の姿になったという。また、初期の天守閣の最上階(三層部分)には、今のような廻(まわ)り縁はなく、代わりにスカート状の腰屋根が取り付けられていたことも明らかになった。

◆「ザ・お城」の典型

 一層(一階)の足元部分にも幅二十〜三十センチの不定型な腰屋根が取り付けられている。吉田委員長は「きちんとした矩形(くけい)(長方形)ではなく、糸巻き形にゆがんだ天守台と、その上に立つ天守閣との隙間から、雨水が浸透しないように配慮してある。統一感に欠ける初期天守閣の素朴さを感じる」と話す。

 堤徹也学芸員(37)も「石垣は石屋任せ、大工仕事は大工任せ。その場、その時任せの稚拙な作業ぶりが、発展過程の初期天守閣の特徴を示す」と強調。「『ザ・お城』と言える実にシンプルな造りは、他城に引けをとらない」と力を込める。

 全国には、計十二城の天守閣が現存する。うち一六一五(元和元)年の一国一城令以前に建造された六つの天守閣のうち、国宝化されていないのは丸岡城だけ。

 吉田委員長は「国宝化に向けては、足元をしっかりと固めてから」と指摘。福井地震後に積み直した石垣(天守台)の調査や、耐震性を含む構造的調査、建築部材の科学的調査などを通して文化財的な価値を見極め「来年度には成果を報告したい」と意気込む。(吉川博和)

 <丸岡城> 石垣は高さ6メートル、天守閣は二層三階建てで同12・6メートル。全国でも珍しい石瓦(約6000枚)葺(ぶ)きで、石瓦の重量は120トン。1948年の福井地震で倒壊したが、5年の歳月を費やして復興。当時は財政窮乏に加え、地震の傷痕が残っていたが、町長だった友影賢世氏の国や各自治体への働き掛けで、福井を代表する文化財の消失を防いだ。50年に重要文化財に指定された。

http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20170504/CK2017050402000009.html

中日新聞2017年5月4日付記事より引用

丸岡城の入場者数が過去最高に達し、国宝化へ期待が高まっています。現在国宝の城は5城存在しています。丸岡城が国宝になるのには難しい条件を満たさなければなりません。今後どうなるのか推移を見守りたいと思います。(YUKIにゃん)